なぜ六・八・六でも四・九・四でもなく、五・七・五なのか?そこには、感性共有に関するロジックがある気がしている。
井上ひさしは『私家版 日本語文法』の中で、日本語が七五調のリズムを刻むようになった理由として、日本語には「2n+1」という基本公式があると言及している。
- 日本語の基本単語には二音節のものが多い(ヤマ、カワ、ウミ、ソラ、トリ、ウオ、イネ、ハナ、フク、カネなど)。
- 二音節の言葉が助詞群(一音多い)で繋がれる。
こうして七音と五音が日本語の基本の韻律となったというが、なぜ日本語の基本単語には二音節のものが多いのか。
意味を持つ一音一音を組み合わせることで、言葉を増やしていたと考えられるそうだ。 ひらがなは46文字存在する。単純計算で2116種類の二音節単語を表現することができる。
ではなぜ三音節単語(原理上は97336種類の単語を表現できる)は少ないのか。 ここには、人間の認知が絡んでいるはずだ。記憶や再生の認知負荷が増え、他の情報処理に認知資源を回せない。五感を研ぎ澄まして感じる。その感覚から単語を検索する。単語を選択する。組み合わせる。これらの情報処理と二音節単語は相性が良かったのだろうか。