本に書かれていることは世界の一部でしかない。本にかけることは限られている。手に持って読めるという物理的な制約、需要や供給、コストといった経済的な制約。さまざまな制約をクリアしたほんのわずかな一部の情報たちが本という形を得る。
本に入りきらない情報はもちろん本にならない。だから「図書館=世界」という図式は成り立たず、どこまでいっても図書館は世界の部分でしかあり得ない。といっても本は読まなくてもいいということではない。逆説的ではあるが、本に入りきらない、あるいは、まだ本という形を得ていない情報を情報として認識し意味として咀嚼できるようになるためには、本を読まなければならない。ある本を読む前と後では明らかに認知構造に変化が生じている。仕事上、知識を得るための読書も行うが、認知構造を変えるための読書も侮れない。
読書の前提も大切だ。読書には
- 自己正当化型(自分の考えが正しいことを証明する)
- 仮説検証型(自分の考えが本当に正しいのかを確認する)
の読書があると考えている。自己正当化型読書には確固たる自分があってその牙城をもっと強固にするイメージがある。仮説検証型読書には自分に固執せず変化や変容を受け入れるしなやかなイメージがある。自分という実在を仮説的な存在と認識してその存在を検証し続けるスタンスが変わり続けるヒントになるかもしれない。