歌を聴くこととその歌の歌詞を読むこととは全く異なる体験だ。歌 は { 歌詞 , 声 , メロディ, 振動 } といった要素で構成され、歌詞を読むと行為には声、メロディやリズム、振動が欠落する。
- 欠落する要素
- 声: 音色や抑揚が持つ非言語的な感情情報。
- メロディ、リズム: 身体との同期や振動による感情喚起。
- 振動: 音波が身体に与える触覚的体験。
その欠落が歌を聞いた時と歌詞を読むだけの時に生じる体感の差分である。じんわりと体を包み込む感情の発生元である。
- 歌→身体感覚→感情→意味理解
- 歌詞(記号)→感情→意味理解
このフローを見ると、大きな違いは身体感覚の有無である。「歌がなぜ感情や意味を超越的に伝えることができるのか。」という問いに身体感覚からアプローチしてみる。
①声は音波として物理的に空間を震わせ、聴き手の鼓膜や骨伝導を通じて身体的な振動として作用する。この振動が聴き手に感情的な影響を与える。特に、声には抑揚、テンポ、音色といった非言語的な情報が含まれ、それが感情のニュアンスを伝える役割を果たす。
②メロディとリズムは、聴き手の心拍数や呼吸を同期させることで身体の内部状態を直接変化させる。例えば、ゆっくりとしたバラードは心拍数を落ち着かせ、激しいアップテンポの歌は心拍数を上昇させる。このように身体の内部状態を変えることで感情を生起させている。
③歌は耳から入るだけではなく、身体全体で感じ取られる体感的な経験を伴う。音波が身体に与える振動(特に低音)は、全身の触覚的な感覚を刺激し、感情の発生を促す。これにより、歌は単なる聴覚情報ではなく、聴き手を空間的に包み込む感覚を生起させる。
①~③で見たように感情は身体的反応と密接に結びついている。例えば、鳥肌が立つ、胸が熱くなるといった感覚は、歌を聴く際の身体的な感情反応の一部である。声、メロディ、振動が、身体の感覚と神経系を刺激することで、感情が生まれる土台を作っている。この土台によって受け手に生じる感情の情報量が増える。歌は感覚的・生理的反応を聞き手に引き起こすことで、感情を身体的に体験させることによって感情や意味を超越的に伝えることができる。
歌は根源的なものだ。人間の言葉は歌から始まったのではないか。この問いにアプローチする仮説に相互分節化仮説がある。
相互分節化仮説とは、異なる状況で歌われる複数の歌から同じ文節を抜き出し、状況に共通する意味を持たせることで、言語が発達したとする仮説である*1。
言語以前、人間はもっと歌っていた。歌で状況を共有していた。歌で威嚇していた。歌で求愛していた。歌でコミュニケーションしていた。歌という身体性をフルに活用したメディアで意思疎通していた。「歌→感情→意味」と言うフローで情報伝達していた。記号接地問題は「記号→意味」という図式を相手にする。記号に身体性を感じることができれば感情が発生して意味理解を促進する。記号に身体性を生じさせるものとして、漢字があり(#36 記号接地問題と漢字の世界観)、オノマトペ(#33 感覚とリンクする言語の可能性)があると過去に言及した。歌も歌詞という記号に身体性を生じさせているといえる。また、歌うことで他者に感情を伝えながら自身もその声に共鳴し感情が深化する点で歌は中動態的な現象でもある。
*1:【言葉は歌から生まれた?】ヒトの言葉の起源に迫る! 【言葉は歌から生まれた?】ヒトの言葉の起源に迫る! | UTokyo OCW (OpenCourseWare)