斜めダンディズム

日常に補助線を。

#45 叫びの衝動が生み出したもの

 叫びは衝動だ。意味を超えている。身体に根差した根源的な爆発である。堀切 和雅 さんのエッセイには身体と言葉について鋭い洞察が見られる。

原始、人は心のままに叫び、呟いていた。ところが言語が生まれ、音の高低や母音子音の種類が意味に縛られるようになると、ことばは次第に身体の自由な叫びや呟きから離れ、身体感覚の解放は制限されていく。それを補償するものとして、心身の律動を音に置き換えた歌が生まれた。以来、人が心の底から体をあずけられるのは、ことばではなく、音楽になっている。人はもはやよほど危急のときか、意識に障害を来したときでもないと、意味から離れたことばを叫べなくなっている。意味のないことばを叫ぶことはできないように、われわれは強力に規制されている。何に規制されているかというと、ことばという制度に。ことばには意味がなければならないという、社会の約束事 に。意味による規制は、発声の制限にとどまらず、当然ながら身体全体に及んでいる。 「身体を置き忘れた「ことば」より」

 叫びの衝動が歌を生みだし、歌の意味を効率的に伝達するために言葉を生み出したと私は考えている。現代には叫びがない。また、エモい、ヤバいに見られるように言葉がファーストフード化してきている。内的な感情を衝動に基づく表現に翻訳、あるいは、昇華するツールを作りたいと考えている今日この頃である。